人文論叢, Volumes 53-54동대학교, 1999 - Humanities |
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... としてではなく、次の入子型構造のようにその結合を重層的段階的結合として、言い換えると、有機的結合として捉えている。桜の花が咲くすなわち、「の」は「桜」に付いて下の「花」との関係を示し、その結果として素材「桜の花」が作られ、「が」は素材 ...
... としてではなく、次の入子型構造のようにその結合を重層的段階的結合として、言い換えると、有機的結合として捉えている。桜の花が咲くすなわち、「の」は「桜」に付いて下の「花」との関係を示し、その結果として素材「桜の花」が作られ、「が」は素材 ...
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... として捉えている。すなわち、山田が用言に陳述を認めているのに対して、時枝は、用言を観念内容を概念化して表示する詞であるとして、そこに陳述のはたらきを認めていない。ともあれ、時枝は陳述を「言語主体の肯定判断」、すなわち「話し手の判断作用 ...
... として捉えている。すなわち、山田が用言に陳述を認めているのに対して、時枝は、用言を観念内容を概念化して表示する詞であるとして、そこに陳述のはたらきを認めていない。ともあれ、時枝は陳述を「言語主体の肯定判断」、すなわち「話し手の判断作用 ...
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... として用いられている「花が咲く季節」などのような場合は陳述を認めない立場をとっていることから、もともと陳述の概念を文の成立を説明するのに導入したのではないかとも思わせられる。これはまた文の「完結」の概念としてだけ使われている渡辺の陳述 ...
... として用いられている「花が咲く季節」などのような場合は陳述を認めない立場をとっていることから、もともと陳述の概念を文の成立を説明するのに導入したのではないかとも思わせられる。これはまた文の「完結」の概念としてだけ使われている渡辺の陳述 ...